徒然日記

つれづれなるままに。。

エリート思考撲滅運動

エリート思考。私の母方の親戚が過度なエリート思考で、私はずっと苦しんできたのだが、アメリカに来てからというものの、そのことをすっかり忘れていた。最近好きになった人が、なかなかのエリート思考で、そこで自分の親戚に対する葛藤を思い出した。

私の母は、学歴・経歴に対しては、完全にブランド思考だ。私は子供の頃に、「うちの親戚は、男は東大に入って、女は東大生と結婚している」と洗脳のように言われ続けた。まあ、父は東工大生だが、それも範疇ということらしい。結局、弟は東大の大学院に行ったし、姉は東大生と結婚した。私はこの教育方針に、ずっと懐疑的だった。

私の母方の祖父は、財閥系商社の役員だった。ただ、それはうちの親戚の中では珍しいことではなかった。たびたび行われる親戚会では、財界人や政界人が我が物顔で我が親戚の優位性をスピーチしていたし、親戚一同トップ企業の重役や政界人であることが、非常に重要なことという感じだった。この中で、私もエリートの男性と結婚して、恥ずかしくない人生を送らなくてはならない、そういう気負いがあったし、親の顔に泥を塗るわけにはいかないというプレッシャーもあった。

私の父は、このような世界と無縁の、科学や数学を一途に愛して、好きなことを仕事にすることが一番正しいと主張する頑固ものなのだが、私は父の考え方の方が好きだった。ビジネスや実学を敬遠するのには困るが……。父親と母親の価値観は、いつも相反していた。

母方の親戚は、我々の世代にたくさんプレッシャーを与えてきた。東大に入れなさそうな男子は、その年受験をすることを許されなかったし、私の就職活動も親戚は様々な意見を言ってきたし、なんなら親戚と食事して、財閥系企業のスバラシサを永遠に聞かなくてはならなかった。

私も就活では、さすがにいい会社に入らないとまずいということで、とりあえず総合商社を片っ端から受けたのだが、一つも受からなかった。まあ興味がないから当たり前なのだが、親戚からどう思われるのだろうかとずっと辛い気持ちを抱えていた。

結局、私は自分の興味のあった教育業界に入るのだが、名のない会社に入ったことに対する劣等感はなかなか消し去ることはできなかった。

残りは、結婚で挽回するという方法があったが、そういう親戚に対してビクビクする生き方をすることにどこか懐疑的になっていたし、自分の人生はこのままでいいのかという不安感がずっとあった。

 

結局アメリカに来たら、親戚から解放された自由な思考になった母親の元で生活できて、私も本当に自由になった。

だから、もう日本には戻りたくない。

でも、今の恋愛は、私のこの葛藤を思い起こさせる。

一体この心理的な戦いは、いつまで続くのだろうか。

弟がコロナに。家庭内コロナ感染対策・コロナ所感

弟のコロナ陽性が発覚して2日が経ちました。

弟はパンデミックになってからというものの、緊張感が高まっている昨年の今頃でも平気で友達の家で遊びたがる緩い人間で、以前は母と私でそれを厳しく止めていたのですが、最近はカリフォルニアもだいぶ規制を緩めており、まあいいかなとこちらも気を抜いていました。本当に悔しいです。みなさんも気を抜かないでください。

 

家庭内感染対策は、基本は弟を部屋に閉じ込めています。部屋の前に椅子を置いておき、食事は椅子の上に置いておいて、弟がそれを部屋に持っていき、部屋で食べて、食器をまた椅子に返すシステム。また、手袋を渡してあり、トイレの際は手袋を装着して部屋を出る。タオルは、弟が使うものだけ部屋に持って帰ってもらう形式。

大量の水のペットボトルが家にある(去年の山火事の時に、一応買い溜めした)ので、それを渡してあって、水分補給のときもキッチンには来ないでもらっています。

洗濯、食器洗いは家族の分と同時にやって、問題ないようです。洗濯、食器洗いの後は、必ず手洗いandサニタイザーをかかさず行います。

うちはトイレが二つあって、男性用と女性用に分けてるので、この時期は弟用とそれ以外に分けたいのですが、父が弟と同じトイレを使いたがるので、トイレを分けることは断念。

リビングではマスク着用(父はやってない)、料理のときもマスク着用、誰が既に感染してるかわからないので、食事は家族でバラバラに取りたいのですが、それは父に反対されました。普通にみんなで大声で喋って食事しています(イライラ)

弟には、自由が効かないことで不便さを感じてもらわないように、こまめにラインで連絡を取り、必要なものがあったら部屋の前の椅子に置いてあげるようにしています。

 

以上が家庭内感染対策です。

やっぱりこの時期は、誰かの家に行ったり、インドアで複数人で食事をするのは、かなり危険だと思います。うちの弟はとにかく馬鹿野郎で意識が低かったので、ウーバー(タクシーみたいなやつ)に乗って友達の家で複数人で遊んでいました。結果弟は、家族にここまで迷惑をかけてしまいました。万が一、室内で人と会わなくてはいけないときは、、その人が以前人と会っていないかどうか、よく確認するべきだと思います。

このブログは基本的に愚痴や思ってることを書いていますが、今回は関心度の高さを踏まえて、情報発信とさせていただきました。この投稿が少しでも皆様の危機意識を高めることに役に立ちますように🙏

弟がコロナになった

ショックだ。弟がコロナになった。自分にできることはなかったのか、どうにか食い止められなかったのか、考えると気が落ち込む。

父は糖尿病で、感染したら重症化するリスクが大きい。今から長丁場の家庭内での感染対策に、早くも辟易としている。

 

以下、自分がやるべきだったこと。

・弟に、父のことを良く考えて行動しろ、と強くいうべきだった。

・父が糖尿病のリスクがあることから、ワクチン接種ができないかどうか、早めに調べるべきだった。

・弟が体調が悪くなった時点で、食事は別で取ることを提案はした。そこで父は反対したけど、私は押し通すべきだった。

PCR検査のために車に乗る際、弟の席を父の隣ではなく別の席に移動させるべきだった。

 

今からやるべきこと。

・徹底した感染対策

・ワクチン予約できるところを探す

・今から重症化した際の医者を探しておく

 

好きな人ができた

久しぶりに、がっつり恋をしている!しかも、ほとんど叶いそうにない恋を!

 

前の彼氏と別れたその日に婚活アプリに登録して、次の日に彼に出会った。彼のプロフィールを見て、一気に惹き込まれたのを覚えている。外国人だったが、流暢な日本語でプロフィールが書かれていた。連絡を取って、その日にラインを交換して、その日にズームで喋った。

ズームで喋って、この人は本当に良い!と思った。だが、問題点もあった。まず彼は、子供を作りたくないと言っていた。そして、彼は(信仰心もなければ戒律も守っていないが、一応)ユダヤ教だ。宗教の違いは大きい。

総合的に考えると、結婚は遠い気がしたので、これからはいい友達でいようかなと思った。彼と話すのは楽しいので、無理に恋人になったり結婚したりしないでもいいや、とそのときは思っていた。

その後、私は、クリスマスの節目にクリスマスの挨拶をした。そしたら、彼から「またズームで話そう!」と提案があった。そのときは、もう結婚対象からはずしていたので、そこまでの喜びはなかったが、軽い気持ちで承諾して、ズームでまた喋った。

その後は、婚活というよりは、単に彼を思い出したときに、基本的に私から連絡して、彼もそれに応える形でラインで連絡を取り合った。そして、私から「またズームで話さない?」と切り出したら、「じゃあ直接会うというのはどう?」と切り出された。この時、恋愛感情や結婚意欲は私の中で皆無で、単に友達と会うくらいの気持ちで「じゃあ会おう!」と承諾した。

結局公園で直接会ったのだが、これが私の中で大きな出来事となった。まず、直接会って喋ったら、どんな会話も本当に超楽しかった。そして、会話が途切れることがなかった。そしてなんといっても、彼なりに私を結婚相手の候補として見てくれてることがわかったし、そのことがスーパー嬉しかった。この人に候補として見られてるのは、夢みたいだった。この気持ちが沸き起こったことから、私は彼のことが好きなんだなと認めざるを得なくなった。

公園で直接会ってからというものの、毎日彼のことを考えている。考えるのが辛くなって、連絡を取ることもあった。彼はラインをスマホに入れてなくて、既読がつくのは基本的に一日後。連絡をとっているときは、その返信の遅さに非常にヤキモキする。

 

でも、この恋愛は多分うまくいかない、私はそう考えている。

一番大きいのは、私には病気があって、経済的に自立するのは難しい可能性が高い。でも彼は、パートナーに自立を求めている。

また、彼は時間を無駄にすることを心底嫌っている。私は、基本的にダラダラするのが大好きだ。

なんというか、お互い相性の悪い部分があると思う。

 

今の私には、一つの恋愛に拘っている余裕はない。そう思って、もう次に話す時には病気の話をすることに決めた。そのことが辛く悲しい。せめてできればずっと友達でいたいが、きっと難しいだろう。

 

こうやって考えて浮き沈む毎日、結局これこそが恋の醍醐味なのである。

前向きに差別問題と向き合うには

やっと難関だった中級財務会計の期末テストがほとんど終わり、残すはexitra creditのみ。余裕が出てきて、アメリカに対する見方も少し変わってきた。前向きな気持ちになってきたのだ。

 

アメリカには人種差別の問題がある。その根の深さは尋常ではない。黒人の問題が最も大きい。

私にとっての黒人の問題は、母親の問題だった。私の母は、子供の頃に黒人にひどいアジア人差別を受けていたので、黒人のことを憎んでいる。かといって、黒人の友達もいたらしく、黒人全員が悪人だと思っているわけではないが、どうしても黒人全体を許せないのだそう。

私は子供の頃から、この黒人の話を幾度となく母親から聞かされてきた。ただこれまで、私はこれは母親のトラウマ経験であり、母親個人が乗り越えるべき問題だと思っていた。

でも、アメリカに来てわかったのは、アメリカには母親のような経験をしている人が数え切れないくらいいるということだ。心に傷を負い、そして何かを憎んでいる。人種差別は個人のトラウマや問題ではないことを知った。アメリカという社会が傷と憎しみを生み出しているのだ。

 

アメリカは差別を根絶しようと努力している。ただし一方で思うのは、カリフォルニアや沿岸部は物価も高く、貧しい黒人は暮らしていない傾向にある。貧しい黒人が多く住んでいる地域こそが、問題の中心地だ。知人がミシシッピ州出身だが、彼曰くミシシッピ州では黒人に対する差別は非常に根強いということだ。その地域で一体皆がどのような思考をしているのかや、背景を知ることがとても重要で、この沿岸部で差別撲滅を声高に訴えることは必ずしも問題解決に効果的ではないというのが、私の意見だ。

 

沿岸部のリベラル思想は、中南部で嫌悪されており、そこには確実に温度差がある。私たちは、問題の少ない場所で差別根絶を訴えるのではなく、まず彼らを理解することが大切だと思う。ごもっともな意見を主張するのは必ずしも正しいのか?わたしはそこに疑問を持っている。どうも問題意識ばかり肥大化して、正しく解決に向かっていないと思うのだが。。。

 

差別反対を唱えるものは増えた。しかし、決して状況がよくなっているとは言えない。そのことが私を失望させ、この国のことを嫌いにもなった。ただ最近は、こう思う。アメリカは試行錯誤しながら、問題を解決しようとしている。その努力が、全て徒労に終わっているとは思わない。何かは改善している。世の中は1ミリずつだが、良くなっている。

 

アメリカは、この問題を解決しようと努力しているし、その事実が素晴らしいのだ。まだ長く続くであろうこの問題の解決に、私も少しでも力になりたい。私は今、そのように考えている。それは、アメリカに嫌悪感を抱くよりずっと心が清々しく、前向きな気持ちなのだ。

 

 

小学生の頃の記憶とか

姪が幼稚園児だった時、ファッションにこだわっていていつも洋服を自分で選んでいたのを見て、不思議な気持ちになった。自分が幼稚園児の時、何を考えていただろう。

ずばり、私は幼稚園児の時、何も考えていなかった。今でも覚えているのは、みんなでおもちゃを片付ける時間の時、自分だけ何をやればいいのかわからず、ポツンとしていたことだ。

実はあの頃から何も変わっていないのではないかと思う。あまり人ほどものを考えない傾向にあると思う。

大学生のとき、クルーズ船で接客のバイトをしていたのだが、あるパーティーでコンパニオンがオプションでついていた。華やかにドレスアップした、そしていわゆる水商売と言われる仕事をしている女性たちと初めて一緒に仕事をして、少しドキドキした。私のバイト仲間は、みんな彼女たちを違う生物としてみていたが、私はあまり気にせずに、彼女たちに声をかけていた。

私は昔からあまり何も気にしないところがあって、はっきり言ってそのときも、ほとんど何も考えていなかった。

なんというか、本当にその意味で個性的なのだと思う。そして、いつも人と違うことになんとなく孤独を感じている。

 

最近、小学校の友達をFacebookで探しては友達申請をしている。小学生の時に人間関係で良くない経験があり、そのことを完全に負の歴史として記憶を封印していたが、もういいかなと思ったのだ。小学校ではいじめがあって、わたしはある子をいじめていたグループに属していた。その子は身体障害者だった。私はそのグループを結果的に抜けたのだが、それは正義感からではなかった。弱者をからかったり、菌呼ばわりして、愉快な気持ちにならなかったわけではないし、はっきり言って加害者としての意識はほとんど持ち合わせてなかったが、道徳の時間にその子が苦しんでいるというのを先生が言っていて、そんなに辛い思いをさせているならやめた方がいいよねってナチュラルに思ったのだ。今思うと結構意地悪なグループに属していたのだと思うが、その頃はそんなことを考えたことは一度もなかった。

小学校の先生に面談で、急に「友達を変えるためにいろいろ考えたことは無駄にならない」と言われたことをよく覚えている。というのも、私は何も考えずに行動していたので、この先生の言っていることは的外れだなと思ったのだ。

 

あまりいつも考えはなく、いつのまにか人をいじめるグループにも入っていたし、そのことに気づいたら抜けた。結局何も考えていないのだろう。そしてそこには、漠然とした孤独感がある。でもきっと、長所にもなるはず。前向きにいきたい。

 

統合失調症

私がアメリカに来たのはこれが初めてではない。数年前に一度、2ヶ月間短期留学をしにアメリカに来たことがある。そしてまた日本に戻って、派遣で外資メーカーの経理職についた。

 

運良く、会社の上層部は、私に正社員登用試験を受けるように勧めてくれた。早くもチャンスが舞い降りた!そして、採用試験、CFOの面接で、私はミスを犯した。アメリカに住んでいたこと、親がアメリカにいることを言ったら、CFOの機嫌が悪くなった。彼はイギリス人で、アメリカなど好きではなかったのだ。

面接後、CFOはディレクターを呼び出し、みんなのいるところでディレクターを罵倒した。私のことについて怒っているのが聞こえた。私は、採用試験はダメだったのだと落ち込んだ。

数日後、私の元に面接結果が届いた。どうせダメだっただろうと思ってメールを開いたら、なんと驚くことに、面接を通過していた!動揺した。一体何が起こったのだろうか。メールを閉じて、私は帰宅した。(もう定時を過ぎていた)

喜びの気持ちでいっぱいになって、私は次の日出社した。そしたら、なんと多くの社員が私のために踊っていた。全社員が私を祝福していた。遠くから、近くから、称賛の声が聞こえる。

私はわけがわからなくなった。なぜ全員がわたしを祝福しているのだろう?こんなことは現実に起こり得るのだろうか?

意味不明な職場で仕事を終え、帰宅しようとしたら、女性社員が代わりばんこで私をつけてくる。怖くなった。一体何が起きているのだ?

 

この半年後、私は精神病棟に入院させられた。病名は「統合失調症疑い」。今思うと、このCFOとの面接のあたりから私はおかしくなっていた。そもそも、実際はCFOは機嫌など悪くなってないと思う。妄想があったのだ。

 

結局会社は私の異変に気づいたのか、「予算削減の影響で人員増加を取りやめる」という話があり、私の採用は見送られた。

 

実際は私は統合失調症というほど深刻な病状はなく、だからといって他にあてはまる良い病名がないのか、一応統合失調症疑いと言われている。

 

この経験をなぜ今ここに書いているのかというと、将来同じ病気の人たちのためにブログを作ろうと思っているから、その練習w

 

不思議な経験をしたけど、この病気になってから、むしろ私の人生は好転している。だから、病気になってよかったと思っている。人生に一区切りがついて、あとは頑張るだけだぞ!と私に思わせてくれたし、それまで私がどんなに精神的に辛いと日本から訴えてもあまり心配してなかった両親も、実際に妄想の世界にいる私と接して、これはただごとではないと、私のことを心配するようになった。だから私は、病気になってよかったと思っている。というよりは、病気になったら最後、それを良く捉えて前向きに治療していくのみだ。